2011年4月18日月曜日

昨日は、本橋監督の作った映画「アレクセイと泉」を見て、監督ご本人ともお会いしてきた。映画は、押しつけがましいメッセージもなく、とても上品な映画だった。


昨日は、デジタルガレージで行われた、チェルノブイリ原発事故後を記録した映画「アレクセイと泉」を見てきた。本橋監督の作ったこの映画は、押しつけがましいメッセージもなく、とても上品な映画だった。誤解を恐れずに言えば「アレクセイと泉」という映画は、ユートピア(汚染された村にはふさわしくないのだが、映画を見て頂ければ理解してもらえるだろう)を映したドキュメンタリーだ。

その村はチェルノブイリ原発事故現場から180kmしか距離が無く、通貨にほとんど頼らない経済社会で、村唯一の若者アレクセイの言葉を借りれば「この村では働くことが食べることなんだ」ということになる。ある日、籠をベラルーシ共和国東南部の村の外に売りに行ったアレクセイと父は、そこで稼いだ金は彼の村では使えない通貨なので、すぐに食糧などに換えてしまう。つまり「C to C」の物々交換のような経済だ。ガスも、電気も、水道もなく、自給自足で通貨には、ほとんど頼らない生活を営む。

村人たちは「チェルノブイリ事故」でも、なぜか汚染されることのなかった泉の水で生活している。そこには誠実に、村のために生きる一人の青年アレクセイが労働力であり、文字通り唯一のエンジンだ。その青年を頼りつつ静かな毎日を過ごす老人たちだけが存在する。「アレクセイと泉」は原発に起きた事故が原因の致命的な環境変化により生み出された、あるユートピアの日常を記録したドキュメンタリーだ。

そこには通貨は無力で、その結果人々の欲望は限定される。我々のようにお金が無ければ生きていけない社会に住む者と違って、多様過ぎる選択肢も、経済や権力の格差もなく、ただ静謐な日常のみが存在する。さて、多様な選択肢を持ち、経済や権力をゲームのように、追い求めることが出来る我々はどう幸せに生きようか?古河雄太+坂井直樹









































【第2回決定】映画「アレクセイと泉」vol.2 トゥモローランド上映会 429(金・祝日)14:30開場 @トゥモローランド本社ホール。入場料1000円。申し込みは movie(a)miznos.com またはDMください。

ソースは「アレクセイと泉」http://movies.polepoletimes.jp/alexei/
ベルリン映画祭を始め、世界各国で好評を博した『ナージャの村』から5年。写真家・本橋成一と音楽家・坂本龍一と組んで〈泉〉を主題としたドキュメンタリーを完成させた。舞台となる〈泉〉は、1986426日に起こったチェルノブイリ原発(旧ソ連・現ウクライナ共和国)の爆発事故で被災した、ベラルーシ共和国東南部にある小さな村ブジシチェにある。この村の学校跡からも、畑からも、森からも、採集されるキノコからも放射能が検出されるが、不思議なことに、この〈泉〉からは検出されない。「なぜって?それは百年前の水だからさ」と、村人たちは自慢そうに答える。この百年、人間は何の豊かさを求めてきたのだろう。《水の惑星=地球》の強い意志のようにこんこんと湧く〈泉〉は、私たちに"本当の豊かさとは何か"を静謐に語りかける。

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